「関→伊賀上野」乗車券(20系ブルートレイン)

関西本線は名古屋からJR難波を結ぶ路線で、そのうち、両端の名古屋~亀山、加茂~JR難波は電化されて電車が走っていますが、真ん中の亀山~加茂間は非電化でキハ120形がのんびりと運行しています。

関駅はそんな関西本線亀山から非電化区間の隣の駅になります。
東海道五十三次の関宿が有名でしょうか。
この駅は長年簡易委託として、地元の観光協会がPOS端末できっぷの販売を行っていました。このきっぷも2013年に購入したもので、伊賀上野まで購入。ここから伊賀鉄道に乗り換えて伊賀神戸に向かっています。
JR西日本のPOS発券特有の西マークが特徴です。

なお、関駅の簡易委託は2018年に解除され、現在は純然たる無人駅になっています。

関ロッジのブルートレイン

関ロッジのブルートレイン
当時国民宿舎だった「関ロッジ」現在は民間の宿泊施設になったが、ブルートレインへの宿泊は終了しました。

何故関に来たかというと、ここから徒歩20分ほどにある宿泊施設「関ロッジ」でブルートレイン、しかも20系に宿泊できるからでした。
当時は一泊2食付きで5400円、一方ブルトレでない通常の客室は一泊2食で6400円とブルートレインのほうが1000円ほど安かったです。
まあ後の写真を見れば、これで普通の旅館と同じ額取れるとは思えないですけどね(笑)

ちなみに本館のほうは普通のホテルです。

近接
近寄って撮影すると、いやーぼろぼろですね。実際、自分が泊まった翌年に老朽化のためブルトレ宿泊をやめてしまいました。
行き先
行き先は「さんべ」米子、博多。ここに運ばれる前は急行「さんべ」の夜行列車として活躍していました。

関ロッジでのブルトレ営業は1985年。宿泊した2013年時点でもう18年が経過しており、かなり腐食が進んでいました。
ここに来るまでは急行「さんべ5号、6号」で米子~博多を夜行列車として結んでおり、その行き先幕ごと関にやってきています。

デッキと廊下
デッキと廊下。デッキの広告はいい旅チャレンジ20000km。知っている人いるかな?

車内も手を加えつつなるべく現役当時の雰囲気を味わえるようになっており、昔の国鉄の地図があったりします。デッキのドアもそのままで、給水機は稼働していませんが、存置されておりました。

洗面所
洗面所はスペースはそのまま活用し、現代のカランを入れ替えています。20系の洗面台は3つ並び。

洗面台は流石に種車のままだと問題があったのか、今のタイプのものに取り換えられていました。鏡とかは現役時代のままです。

寝台
今となってはもう見られない52cm幅の3段式寝台。とにかく狭いの一言です。

寝台は基本的にそのまま使用されています。ただ、流石に52cm幅は狭いですね。。。
また、ハシゴが折り畳み式ではなく通常のハシゴ。さらに転落防止ベルトがあるのも20系の特徴です。
昼になると、これらの寝台を折りたたんで使用しますが、このあたりは人海戦術で専用の係員がやっていました。

14系になると、この作業がスイッチ一つでできるようになり、24系25形の途中からは、上段ベッド自体は折りたたまないようになって、いわゆるベッドメーキングを行う作業員は廃止されました。

ただし、三段式寝台で残った583系のみは、一部の列車でベッドの解体作業が21世紀になっても行われていました。

しかし、上段は2m以上あるので登るのは結構大変です。関ロッジでは動きませんが、揺れる列車で上段までハシゴで上るのは厳しいものがあります。

上段・中段・下段
左から下段、中段、上段。
下段は背もたれをパカッと開くと出てくる照明が特徴。上段は丸い屋根と荷物置きが特徴。

上段、中段、下段です。
下段は、20系特有のベッドサイドの座席をめくると出てくる照明のギミックが面白い。上段は限界いっぱいぎりぎりとわかる丸い屋根と、通路の天井裏における荷物置き場が特徴です。上段の丸い天井は583系と比べても圧迫感は少な目です。

しかし、中段に置かれたハンガーがものがたるように、寝台幅は52cm。なんというか・・・狭いです。イヤ、ホント。
寝返りが打てないというのは冗談ではなく、上段・中段は転落防止ベルトが一種の命綱のように見えてきます(笑)

最後まで宿泊可能状態で残ったこの「関ロッジ」のブルートレインですが、ついに2014年に宿泊停止となりました。
その後撤去の予定だったそうですが、現在も残っているそうです。

宿泊はできませんが、車内見学はできるそう。このままずっと残るとも思えないので、興味のある方はお急ぎを。

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