「ひなび宮古」の記事を書いていたとき、そういえば以前このあたりの駅舎をテーマにした臨時列車に乗っていたな・・・と思って、昔のきっぷをひっくりかえすと2012年に「もくぞう駅舎号」として盛岡~宮古間を往復していました。
このときの指定席券です。
快速列車ですが途中停車駅が上米内、大志田、浅岸、区界、川内、陸中川井、茂市と大志田、浅岸以外は当時木造駅舎のある駅ばかり停車していました。
それぞれの駅では数分がら10数分の停車時間が設けられ、駅まわりを散策できるまさに「駅めぐり」のための列車です。
特に区界、川内、茂市は2012年当時有人駅で立派な駅舎が当時健在でしたが、2020年に取り壊され、現在は小さな待合室があるのみとなっています。
老朽化した駅舎の維持はJR各社共通の課題となっており、最近はバス停留所のような簡素な駅が増えてきています。
廃止された2駅
「もくぞう駅舎号」の使用車両はキハ58,28「kenji」。JR線上で最後のキハ58系列の車両となります。車内はリクライニングシートが並びます。
発車して最初の停車駅が上米内駅。
こちらも木造駅舎が残っており、2024年も現存しています。2012年時点では有人駅。今はは無人化されていますがリニューアルされて綺麗になっています。
このあたりは盛岡近郊という感じののどかな田舎風景ですが、ここから先は山中に入っていきます。
そして次の停車駅は大志田駅。2016年に廃駅となっています。
大志田駅は山中の駅。近くには家が数軒あるのですが、あまり人がいる気がしません。(だから廃止されたのでしょうけど)
もともとスイッチバック駅だったようで、分岐する線路が。ホームが比較的新しいのですが、これはおそらくスイッチバックが廃止されたときに移設したのでしょう。
さらに浅岸駅でも停車。こっちはさらに山の中で駅から民家が見えません。こちらも元スイッチバック駅ですが、線路は撤去されていました。
しかし、みんな線路に入って思い思いの構図で写真をとっていますが。普通は踏切でもないのに線路に入るのは禁止ですが、ここではみんな当たり前のように入って撮っていました。
さて、山の中をうねうねと登って区界駅に到着。
なくなったもくぞう駅舎たち
区界駅は2012年当時は有人駅で、立派な駅舎もついていました。平均乗降客数1日一人で、普通ならばとっくの昔に無人化されていますが、当時は信号が自動化されておらず(連査閉塞式)、列車交換可能駅に必ず信号取り扱い担当職員を置く必要があったため、無人化されずに残っていました。これは後述する川内、茂市も同じで、主に信号取り扱いのために有人駅として最近まで残っていたのです。
2018年の自動閉塞化で無人化されましたが、その時点で駅舎の運命も決まってしまったようなものです。無人化された駅舎は持て余し気味で、2年後に取り壊されています。
続いて停車するのが川内駅。鹿児島県の「川内」と区別するため本来きっぷには「山」がつくのですが、この入場券にはついてきません。同名駅は線区名が頭につくことが多いのですが、この駅はないようです。ちなみに読み方は「かわうち」駅です。
無人化のあと立派な駅舎は取り壊され、2024年現在はこじんまりとした待合室だけの駅となっています。
ただ列車交換設備は健在で、区界駅の列車交換設備がなくなったため、上米内駅~川内駅33.7kmが1閉塞という区間ができています。つまりこの区間に1列車しか入れないということ。これじゃ本数増やしたくでも増やせませんね。
陸中川井駅も川内駅に似た木造駅舎があります。こちらは2024年現在も現役。ただし、2012年当時はタクシー会社による簡易委託駅で列車到着当時は窓口に誰もおらず、きっぷは買えませんでした。現在はきっぷ販売は行われておりません。
現在もタクシー会社が駅舎に入居しており、駅舎が残されたのはこれが理由なのかもしれません。
茂市駅はかつては岩泉線を分岐していました。2012年当時は代行バスが発着していましたが、列車の交換があったため駅員が常駐してきっぷを販売していました。
広い構内を持ち、立派ななこ線橋までありましたが、2024年現在は駅舎は解体されて待合室のみの簡素な駅となっています。こ線橋は解体されてホームへは構内踏切が設置されました。
2024年と比べると、廃駅になったり駅舎がなくなったりと大きく様変わりしていることに驚きました。同時に厳しい地方の現実を見せつけられた気がします。
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