追分駅の「北の大地の入場券」です。
追分の前に(室)の文字がありますが、これは室蘭本線の追分駅ということで、奥羽本線の同名駅との区別をつけています。
追分駅はもともとは室蘭本線と旧夕張線の分岐駅でした。1976年に廃止された、旧国鉄で最後の蒸気機関車が活躍していた駅で、長年夕張炭鉱などの貨物輸送がメインでした。(その後蒸気機関車は1979年にSLやまぐちとして再開)
その後1986年に石勝線が開通して石勝線と室蘭本線の乗り換え駅となり、道央と道東を結ぶ路線の中間駅として特急「おおぞら」「とかち」が停車するようになっています。
入場券の裏面に記載された「道の駅あびらD51ステーション」はそんなSLの資料などが展示されたSL資料館があります。
駅から徒歩15分とのことですが、今回の旅も含めて未だ未訪。どこかで時間を作らないと。
1日3本の普通列車
(前回の記事からの続き)
新夕張で少し早めのお昼をとったあとは、12時37分発の普通列車千歳行きで追分まで乗車します。車両はキハ150形。
客はわずか3人。まあ特急以外は1日3本しかありませんから、これくらいなんでしょう。そして青春18きっぷで特急料金なしで追分方面に特急乗りたい人はこの列車に乗るか、最終の18時42発の千歳行きに乗るしかありません。こちらは滞在時間1時間50分ですが、正直こちらのほうが時間つぶしに困りそうな気がします。
新夕張を出ると、次は滝ノ上。ここで特急「おおぞら5号」との交換のために長時間停車です。
ホームでぶらぶらしていると、特急が猛然と通過していきました。
さらに川端駅に停車して、新千歳から約30分強で追分駅に到着です。
ここで新千歳行きは27分停車して後続のとかち6号に道をゆずりますが、自分はここで下車して「北の大地の入場券」を買い求めました。
過去の栄華を今に伝える。
全国にある「追分」という名はその名の通り分岐点を意味します。
ここの追分も夕張方面との分岐点といういう意味での「追分」で、鉄道開通によって作られた地名です。元の地名が「安平」。
鉄道によって作られた「追分」はこのほかに台湾の「追分」があり、こちらは海岸線と成追線の分岐点にあります。
駅名標を見ると、「追分」の名に違わず、次駅名が複数記載されています。ただ、「追分」はどちらかというと三叉路のイメージですが、昭和56年の石勝線全通に伴い追分駅は路線が十字にクロスするようになりました。
もっとも路線自体が交差するわけではなく、もともと一直線の室蘭本線に、南千歳からの石勝線が南から近づいて一緒になり、その後追分駅を過ぎると新夕張方面に分岐する形でクロスのイメージとはちょっと違います。地図で見るとよくわかります。
駅舎内は売店等はなく、やや広めの待合室があるだけ。やや広めということはかつてはKIOSKがあったことが容易に想像できます。
そのスペースに展示パネルが設置され、追分駅の歴史が紹介されていました。
産出された石炭を輸送する鉄道の拠点の町として大いに栄えたそうですが、廃坑によって石炭需要はなくなり、道央と道東のメインルートの途中駅になりました。
一方で、追分駅自体はかつては多くの鉄道マンが働いていたそうですが、現在はかろうじてみどりの窓口はあるものの日曜は無人。広い駅構内がかつての栄華をしのばせるものとなっています。
というか新夕張ともどもよく今まで無人駅化されなかったもんだ。経営が厳しいJR北海道では今後さらに合理化が進みそうな気がします。
(6/1の記事に続く)
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