寝台特急「あかつき」の特急券です。
あかつきは当時長崎行きと佐世保行きがあり、途中の肥前山口で分割・併合を行っており、佐世保行きに座席車を1両連結していました。
座席車は14系客車が使われましたが、いわゆる「簡リク」と呼ばれる腰を浮かすとバタンと戻ってくるリクライニングシートが使われており、乗り心地はお世辞にもよくはなかったと思います。
現在もこの手のシートは「ムーンライト高知」「ムーンライト松山」等に残っています。
座席車1両以外はすべて開放B寝台車という味気ない編成だった「あかつき」ですが、
この後大きく手を加えられます。
まず長崎行きに「レガートシート」と呼ばれる独立3列シートの座席車が登場。
そして「ソロ」という個室寝台車が長崎行きに連結されます。
さらにB寝台もドアのついた「Bコンパート」が連結されるようになります。
このとき、佐世保編成についていた座席車は廃止されました。
さらに「出雲」の「サンライズ出雲」化に伴い、浮いたA個室寝台車「シングルDX」と、B個室寝台「シングルツイン」「ツイン」を長崎編成に連結。
そのあおりで「ソロ」が長崎編成から佐世保編成に移動になります。
しかし、長期低落傾向は歯止めがかからず、佐世保「あかつき」は廃止、
佐世保「あかつき」分は、そのまま宮崎行き「彗星」になりました。
さらに今度は「彗星」も廃止され、お相手は今度は熊本行き「なは」に変更。
このとき、「ソロ」は長崎行きに連結され、「Bコンパート」は廃止されています。
現在の「あかつき」は「シングルデラックス」「シングルツイン」「ツイン」「ソロ」「レガートシート」と、なんかイロモノ個室・座席車両のオンパレードと化しています・・・
この乗車券を購入したのはよく覚えており、当初駅員が「あかつき」の座席車の存在を知らず、B寝台で発券しようとしたため、駅員と指定席車がある・ないのバトルをした気がします。
当時のマルスはM形マルスと呼ばれ、パタパタとページをめくってピンで指定する方式でした。
いつのまにかこのページめくりタイプは見なくなりましたね。
コメント
懐かしいすね・・・
利用区間の間に印字された三角が「→」になった頃、マルスもあの
金属板をパラパラやる方法からキーボード、スタイラスになって
現在のスタイルに落ち着いた、と認識してます。
バッタンシートの「あかつき」のきっぷ入手は僕の場合関西の某駅。
すんなりと出てきたにはきたのですが係員が「やっすいなぁ~、寝
台やったら1万近くいくのになぁ~」となぜか感心されて・・・
89年夏の九州旅行の帰りに「あかつき」を使ったので、机の引き出しを捜してみると、ぱーぱーさんと同じ日の門司→新大阪の1Bでした。
23時を回っていたので、車内補充券で発行してもらいました。当時は下関車掌区の担当でした。
あの座席でも、下関出発後、すぐ寝入ってしまい、加古川あたりまで爆眠していました。で、大阪で降りて北越色の485系を撮っていました。
まさか、同じ車両に乗り合わせていたとは、奇遇ですね。
コメントありがとうございます。
>電話番サマ
あのページ送りタイプのマルスは時々
神のように操作が早かった人がいるのを覚えています。
確かに寝台に比べると価格の差は歴然としていますね。
>なにわサマ
偶然の一致とは恐ろしいですね。
あのときは「山口・秋芳洞ミニ」で周遊していたのですが、
貧乏で新幹線という選択肢は最初からなかった気がします。
行きは「だいせん」帰りは「あかつき」でした。