快速「下関ふくフク号」指定席券

20060612

2005年3月まで数年間運転されていた広島~下関間の臨時快速「下関ふくフク号」の指定席です。
長期にわたって運転されていたため使用車種は多岐に渡り、やまぐち号用の客車、サンライナー等で使われる117系電車、あるいはキハ181型特急型気動車、きのくにシーサイド用客車等があります。

今回乗車したのは、24系25型寝台車両で、この年の3月をもって廃止された寝台特急「あさかぜ」で使用された車両を持ってきています。
寝台車を真昼間に快速として走らせるのはかなりまれなケースで、このときの運転はかなり注目を集めました。
「あさかぜ」に連結されていたフリースペースの「ラウンジカー」は2両も連結。一種のサロンですね。

20060612_2 さて、広島を定刻に出発。
寝台車なだけに、さすがに座り心地は差し引いたほうがいいでしょう。
ただ客車列車なだけに、発進がかなりゆったり。なんだかのんびりとした感じになっています。

山陽路を快走、新山口を通過してさてラストスパート!ってところで厚東で停車。
もちろん停車駅ではありません。

この日は2005年3月20日。
そうです。福岡県西方沖地震が発生したのです。

厚東で長時間停車。
座席車だったら大変でしたが、これは「寝台車」。
地震だからしかたねえ・・・ということで、みんな寝台車のベッドで居眠りし始めました。
こんなところで寝台車が有効活用されるとは(笑)

4時間ほど停車したあと、ゆっくり発車。発進、停止を繰り返して小野田で再度長時間抑止。
ここではドアが開いたので、なぜか撮影会になってしまいました。(この写真もそのとき撮影)
ようやく発車したころには夕日が真っ赤になっており、新下関到着時は既に真っ暗。
下関到着は7時間以上遅れの19時過ぎ。
でも意外に疲労を感じなかったのは寝台車でひたすら寝ていたからでしょうか。

この日はさらに博多まで転進。博多のホテルで泊まりましたが、余震が結構あり、なかなか寝付けなかったです。

コメント

  1. R より:

    いやはや、大変でしたね。自分も乗ってましたが、あのときほど車内にあるコンセントがありがたいと思ったことはなかったです。117系だったらと思うと…。
    頭上の新幹線が先に動き出したり、隣の普通電車が先に発車したり。小野田でもドアが開いたのはかなり経ってからでしたし、新下関に着くと幡生から先下関まで運転するか不明という状態(最後尾にいたので無線丸聞こえ)なのにラウンジは立ち客でいっぱいに。
    あの日は席を押さえていた上りふくフクを見送り、2時間の遅れながら運良く動いていた上りムーンライトで引き返しました。
    天災なので致し方ないとはいえ、もう二度と出くわしたくはないですね…。

  2. ぱーぱー より:

    下関で降りたら九州方面が運休でした。
    仕方ないので下関駅の駅ソバ屋でフク天そばを食べてたら開通のお知らせが。
    小倉行きに乗ったあと、?時間遅れの超満員にちりんシーガイアでなんとか博多へ。

    完全に予定が崩れてしまいました。。。

タイトルとURLをコピーしました